Interview & Text by 得原藍
宇宙から戻った宇宙飛行士のための、 ロルフィング。
その言葉に惹かれて出会ったロルフィングが、 まるで重力のようにさまざまな偶然を引き寄せた。
───小林さんとロルフィングとの出会いを、お聞かせください。
ロルフィングに出会ったのは、身体を壊したことがきっかけです。
ロルファーになる前は、インテリアの会社に勤めていました。はじめは物流部門にいて、その後に社内で立ち上がった飲食部門に異動したのですが、異動して3年目の半ばくらいに身体を壊してしまったんです。腰が痛くなって、身体を起こせなくなって、家にも帰れなくなって。そのときに、SINRAという雑誌を見て知っていたロルフィングのことを思い出して、ああ、こういうときに口ルフィングなのではないか、と直感が働きました。
もともと医者嫌いというか、病院や整骨院の選択肢は全くなかったのですが、ぼくは当時NASA関連の話が好きで、 SINRAには、宇宙から戻った宇宙飛行士が受けるボディーワークとしてロルフィングが紹介されていたんですね。 重力の中での身体に戻す、今の自分に必要なのもこれではないかと思いました。
それで、雑誌で紹介されていたロルファーの田畑さんに連絡しました。1999年の4月のことです。
4月に連絡したのですが、セッションを開始できるのが最短でも7月ということでそれまではごまかしごまかし生活して、7月から10セッションを受け始めました。
実は、ロルファーになる直接のきっかけも、田畑さんとのセッションでした。7回目のセッションのときに、田畑さんから、年明けから日本にアメリカから先生を呼んでロルフィングの授業をやるんですよっていう話を聞いたんです。それで会社を辞めて、トレーニングを受けて、ロルファーになりました。
ぼくの人生は、いつもタイミングがいいんです。だいたい、一発でいいものに出会うという感じで進んできている気がしますし、巡り巡って出会うべきものに出会っているという感触もあります。だからいつもあまり考えずに、これと思ったらすぐ行動に移します。
身体に関わる仕事に就いたことも、流れとしては偶然のようではあるんですが、ぼくは実は若いころはずっと野球をやっていて、体育大出身なんですね。大学を出るときには、身体や運動に携わる仕事には就きませんでしたが、自分自身が身体を壊して、ロルフィングと出会って、再び身体について考えるようになったことは、やはり偶然ではなく必然だったのではないか、とも思っています。
───ロルフィングを学びはじめて、それまで体育大で学んできた身体とは違う面がありましたか。
ロルフィングを学びはじめましたが、そこで語られていることについて、最初は半信半疑、という感じでした。
もともと疑り深い性格でもあるのですが、そもそも体育大出身の自分は、頭の中が筋肉至上主義だったんですよ。体は筋肉が動かしている、と考えていたんです。
でも、筋の緊張と感受性って反比例するじゃないですか。だから、力の入った筋では受け止められる情報に限りがあるわけですが、当時の自分はそういうことに納得がいっていなかったのだと思います。周りのクラスメイトたちが言っているコメントに対して、それは気のせいなんじゃないか、と思ったりしていました。
ロルフィングで身体が変わっていく、その凄さは感じているし、これは間違いなく素晴らしいアプローチだと確信しているにもかかわらず、いやいやどうなんだろうと心のどこかで感じる、そんな状態がロルファーになって最初の4〜5年くらいまでは続きました。
でも、今は、だからこそ、クライアントさんにどうですか? と尋ねたときの「うーん」という反応を、肯定的に見ることができるようになってきたと思うんです。
自分自身、そういう時代が長かったですからね。
───当初は、東京で開業されていたと聞きました。その後松山に移動したのにはどのような理由があったのですか。
また、松山では飲食のお店も持たれていますが、ロルフィングとはどのように両立させていらっしゃるのでしょうか。
ロルファーとして開業したのは東京ですが、その後、松山に移住しました。
東京での開業当初、ロルフィングだけでは生活できなかったので、スポーツクラブでのアルバイトや、以前の飲食業の繋がりで飲食関係の仕事などをしていたのですが、どちらも深夜までかかる仕事だったこともあってなかなか生活が整わないのが悩みでした。
当時は趣味としてサーフィンと、染織もしていて、波がよければサーフィンへ出かけ、染織は奥多摩の、染織家の方に教わっていたのでそちらへ出向いていて、とにかく忙しくしていました。
そうすると身体は正直なもので、年々花粉症が酷くなっていきましたし、もちろん本業であるはずのロルフィングでも、きちんと人の身体を見ることができない状況になってしまったんです。それで、もう東京はやめよう、と。ロルフィングをやりたいのならば、一度全てを精算して、友人関係もリセットしないと口ルフィングに向き合えない、と思いました。
そのタイミングで、ちょうど友人が松山で家具屋を始めたんですね。何度か遊びに行ったことはあって、瀬戸内の繊細な景色を素晴らしいと思っていましたし、その友人の家具工房兼ショップに一部屋余っているということだったので2006年に松山に移住しました。
四国での最初の2年くらいは、たまたまそのころ松山に集まってきた面白い人たちと知り合いになって、昼間からぼーっとして海を見たり、廃品回収の仕事もしながら徐々にスタートしていったのですが、当時は本当に、周囲の人たちから見たら「この人は何をやる人なんだろう」 という感じだったと思います。
でも、これがぼくのペースなのだ、と思っています。自分自身でも、これが望んでいる歩みのペースなんです。
エメット・ハッチンスという第一世代のロルファーが、ロルファーは副業しなさい、と言っていて、ぼくはそれを信じています。副業をしないでいると、バランスが取れない感じがするんです。
ぼくは、ロルファーとしてだけではなく、市井の人でもありたい、という気持ちが強いので、そのために社会との接点としてカレー屋とケーキ屋、という飲食業を続けています。
仕事の本質的な部分としても、飲食業はロルフィングと対照的な部分があるんですよ。
飲食業では、お客さんがきたら、考えたり悩んだりする暇もなく最速で最善のものを提供することが必要になりますよね。
ロルフィングは10セッションかけて、クライアントを包括的に理解していくことが必要になりますから、時間軸というか、その場の対応も含めて、飲食業とロルフィングは対照的なんです。そしてそれが、自分自身のバランスを保つために大切なことだと思っています。
───いま、新たに興味を持たれていることはありますか。
最近は、生体の持つ電気について興味を持っています。
電気は、文字通り電気なのですが、生き物が生き物として持っている「気」のようなものも電気なのだと考えていて、5〜6年前くらいから、人の身体が電気的に悲鳴を上げているような感じを受けていたんです。
それで、電気的なことについてずっと模索してはいたのですが、2019年に広島の産業医であり鍼灸も扱っている先生が新経絡治療、と命名された治療法について松山で講演されたのを聞いて、それが生体の電気を扱う治療法だったんですね。そのときにすごく感銘を受けまして、2年かけて新経絡治療について学びました。
この治療法は、痺れや神経的な異常に対して効果を発揮してくれるので、ロルフィングでカバーしきれないと感じていた部分を補完してくれるように思います。
現在はロルフィングのセッションの中で必要だと思えば新経絡治療の手技も取り入れますし、どちらかで対応することもありますが、ふたつの手技が組み合わさることでの効果はとても大きいと実感しています。だから、どんどんクライアントをとって治療して、経験を積んでいきたい、という気持ちもあるんです。
あるんですけれど、まだ自分の身体としても、身につけたこの新しい治療法を実践していくためには準備が必要というか、実践を繰り返すと自分の身体が辛くなってしまうこともあって。やはり、バランスが大事ですね。
電気についてもう少し話しますと、2018年にイギリスの鍼灸師の人が書いた本で「ひらめく経絡」という本があるのですが、そこで結合組織は半導体だ、という話が出てくるんですよ。
それで、ぼくはやっぱりロルファーだから、結合組織が大好きでしょう。半導体というものは、通常は電気を流さないけれども、圧と熱がかかると一気に電流が流れる。結合組織も、同じイメージだと思うんです。だから、身体を触っている人はみんな、電気を扱っているという認識とイメージがあった方がいいと思う。
これまでは、液体のイメージをベースにした説明がロルフィングには多かったと思うのだけれども、それをもっとミクロに見ていくと、そこには細胞として電子の移動が必ず起きているわけですから。中国の経絡治療なんかは、本来はその電気を扱っていると思うんですよ。でもそれを「気」 と呼んでしまったから、電気として理解されなくなっているだけで。
そのような考えから、今後ロルフィングをさらに深めていくためにも、電気的な側面の探求はまだまだしていきたい、と思っています。
小林さんが語る 「バランス」という言葉は、生活の面でも、ロルフィングと飲食業という仕事の面でも、そして身体と電気を扱うというお話でも、「中庸を扱う」ということを指しているのではないかと感じました。最近では「中動態」という言葉も頻繁に聞かれるようになりましたが、中動態を実践されている小林さんとの対話は、陸に挟まれた瀬戸内の海を思い起こさせるような時間でした。
From 日本ロルフィング協会 “JRA NEWSLETTER” Vol.15 2021-2022